「Nuclear Power? No Thanks」— あの笑顔の太陽が60か国に広がった理由

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1975年5月1日、デンマーク

「原子力発電? いいえ、結構です」

赤い太陽がにっこり笑い、その周りをくるりと囲む文字。 このバッジを見たことがある方も多いと思います。

実はこのデザイン、1975年にデンマークで生まれました。 描いたのは、当時21歳の活動家アンネ・ルンド。 プロのデザイナーではありません。

「私はデザイナーじゃない。ただの活動家でした」と本人が後に語っています。

きっかけは、女性たちのモヤモヤ

1970年代、デンマーク政府は14基の原発建設を計画していました。 それに反対するOOA(原子力情報組織)に、ルンドは参加します。

当時、原発に最も懐疑的だったのは女性たちでした。 でも、デモには参加しづらい空気があった。 「握りこぶしを掲げて叫ぶ」運動には、なじめない人が多かったのです。

ルンドはこう考えました。

「40歳の、特に政治に詳しくない女性が、コートにつけて街を歩ける。そんなバッジが必要なんじゃないか」

派手じゃなく、怖くなく、でもはっきり「No」と言える。 そんなシンボルを探したんです。

なぜ太陽だったのか

OOAのもともとのカラーは黄色と黒。 原発の警告色と同じです。

でもルンドは思いました。

「私たちは恐怖で自分たちを定義したくない。 温かいもの、命を生むもの、別の社会を表すものがほしい」

そこで浮かんだのが太陽でした。

「太陽はみんなのもの。太陽光発電のシンボルでもあるし、風だって太陽が吹かせている。だから、笑顔で、でもしっかりNoと言う太陽がいい」

「No Thanks」という言葉の選び方

スローガンも丁寧に選ばれました。

「Nuclear Power? No Thanks(原子力発電? いいえ、結構です)」

なぜ「No Thanks」だったのか。 ルンドはおばあちゃんから「Thank you」と「No Thanks」を礼儀として教わったそうです。

怒鳴るのではなく、丁寧に断る。 質問を投げかけ、対話を促す。

これは「叫ぶ運動」ではなく「会話する運動」のためのデザインでした。

5月1日、メーデーに登場

1975年5月1日、デンマーク第二の都市オーフスのメーデーで、笑顔の太陽は初めて世に出ます。

反応は爆発的でした。 1976年夏までに20万個のバッジと100万枚のステッカーが配布されます。 1985年までに、なんと累計3,600万個が世に出ました。

しかも収益はすべて、各地の運動の資金になりました。 中央集権ではなく、お金が地域に分散される仕組みです。

60か国へ、世界へ

バッジは海を越えていきました。 ドイツ、オランダ、日本、韓国、イスラエル、バスク地方。 ヘブライ語、アラビア語、ロシア語、韓国語…60以上の言語に翻訳されました。

エベレストの頂上にも、バスク語版の旗が立てられたそうです。

そして1985年3月29日。 デンマーク議会は「将来のエネルギー計画に原子力を含めない」と決議しました。 このバッジは、政策を動かしたんです。

著作権を「取った」運動

面白いのは、ピースマークと違ってこのデザインは1977年に商標登録されたことです。

なぜか。 コカ・コーラのような企業が勝手に商品化したり、原発推進派が逆利用したりするのを防ぐためでした。

反核運動のグループは、申請すれば無料で使えます。 でも企業や政党には貸さない。 「みんなのもの」を守るための、もうひとつの戦略です。

タグ運動への、もうひとつのヒント

ホルトムのピースマークは「著作権を取らない」ことで広がりました。 ルンドの笑顔の太陽は「商標を取って守る」ことで広がりました。

正反対のようで、実はどちらも「お金や権力に乗っ取られない」ための工夫です。

そして二人に共通するのは、もうひとつあります。 怒りや恐怖ではなく、「別の未来」をデザインしたことです。

私たちのタグも、同じだと思います。 何かに反対するだけでなく、その先にある優しい世界を、小さな一枚で手渡しているんです。

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